『日本美の再発見』ブルーノ・タウト

 建築家ブルーノ・タウトは桂離宮を〈発見〉した。1933年にナチスドイツから亡命し、来日した翌日に桂離宮を案内されていることを思うと、日本との出会いのインパクトは想像がつく。
 タウトは返す刀で日光東照宮を、キッチュを、新潟の町をこけ下ろす。そして桂離宮こそが、伊勢神宮こそが大陸からの仏教文化の影響を受けていない、単純で、明快で、優雅な日本美であると断定する。芸術を論じるのに主観以外ないことは、自身もそう前置きしている。
 さて、どうしても気になるのが著書のタイトルだ。世界の文化文明を論じるときの〈発見〉という言葉は(ex.コロンブスの新大陸発見)、発見された側にとっては意味のない、あくまで発見した側の問題だ。
 ただし〈再発見〉と言われるとどうもふに落ちない。タウトにとってみれば〈日本美の発見〉でいい。すると〈再発見〉した主体は日本人ということになる。本著はタウトの死から半年後に刊行されているから、私たち日本人がタウトから学び、認識を新たにして日本美を〈再発見〉したと訳者は言いたいのだろうか。そうならば、安吾じゃないけれどそれは大きなお世話ということになる。タウトの日本批評は(今じゃ考えられないほど)辛辣で面白いだけに、タイトルが安易すぎてお粗末な気がする。1939年という時代への迎合なのか。(2018.6.1)

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